代表紹介

加藤 力(かとう ちから)
臨床心理士 セルフ・サポート研究所代表

1984年よりアルコール専門病練、薬物依存症の社会復帰施設(ダルク)に勤務。のち1996年にセルフサポート研究所を設立。特定非営利活動法人セルフ・サポート研究所代表。東京都立精神保健福祉センター薬物家族教育プログラム及び薬物相談事業事例検討会講師。臨床心理士。鍼灸師。総合病院のアルコール専門病棟でカウンセリング業務に従事した後、「薬物依存症の社会復帰施設に勤務。1996年より現職。専門は薬物依存症者の家族・当事者を対象として個別・合同カウンセリング、集団療法(心理教育、サイコドラマ他)など。 依存症からの回復には本人だけでなく、家族へのサポートが不可欠であるという視点から、依存症に関する教育プログラムを提供し、家族間のコミュニケーション能力の獲得を目指す自己主張トレーニングも開催。精神科医や弁護士など各分野の専門家とも連携しながら、包括的なサポートを行っている。著書に「家族を依存症から救う本」河出書房新社。その他、視覚教材「薬物依存症 回復への道」、「境界線(バウンダリー)」、「依存症者への対処法 支援者としての家族のあり方」(各特定非営利活動法人 セルフ・サポート研究所 制作)監修。

メッセージ

依存症の家族を救うために

Q1.今、依存症に悩む家族について感じられることは?

現在、依存症との重複障害やクロスアディクトの傾向のある当事者に対して、専門機関やリハビリ施設は、窓口を広げながら対応しつつあります。全国には家族の相談窓口も増え、多彩なプログラムの下、リハビリ施設も増えました。

 私は、家族支援の重要性を認識して以来、具体的な家族の再構築の場を提供してきました。(当研究所では、本人と家族の合同面接、当事者を含む家族の学習会を続けています)私は相談に訪れる最初の家族こそが「当事者の回復の第一信者」であってほしいと願い、サポートを続けてきました。

 当事者が加害者で家族が被害者、まして当事者が被害者で家族が加害者なんてことはありません。家族は「被害者・加害者」という関係から、力強くたくましい「支援者・援助者」としてのアイデンティティを取り戻さなくてはなりません。

 もし家族が依存症問題を不運、あるいは災いと認識されているなら、それこそが「災い転じて福となす」物語の始まりです。家族は「災い転じて福となす」物語を紡ぎだす主人公なのです。これは実に「やりがい」のある主人公です。そうは思いませんか?様々な社会資源が増えつつあるこの時代だからこそ、あえて言います。

 

「家族が第一支援者、家族こそが当事者の回復を信じてやまない第一番目の信者です」。      

“一人出家すれば九族天に産まる”

 

Q2.依存症は「家族の病」と言われます。ご家族にまずお伝えしたいことは?

本来家族は、相互の理解や信頼に基づく協力関係のもとに成り立っているものです。ところが、依存症者の症状の進行によって、そのバランスは著しく欠けた状態に陥ってしまいます。当事者は依存行為を継続するために、家族に対して嘘をつくのが当たり前になり、借金の問題やお金の無心、さらには暴言・暴力に発展する場合も珍しくありません。一方家族は当事者の借金の尻拭いなどのイネイブリング行動(※)をしたり、コミュニケーションの手段が叱責や懇願、あるいは脅しといった形になったりしてしまいがちです。そして「原因は何か? 犯人は誰か? 誰の責任か?」などを探しはじめ、問題が解決しない苛立ちや憤りを家族間でぶつけ合うようになってしまいます。

 そこでご家族に伝えたいことは、ずばり、家族(援助する側)が陰性感情(恨み、恐れ、罪悪感と後悔)に気が付かないか、あるいは気がついても、手放せない状態では、当事者の症状を悪化もしくは長期化させかねないということです。陰性感情は当事者との関係を引き離し、陽性感情(希望、喜び、感謝)は当事者との関係を結びつけます。家族自身の陰性感情を和らげ、陽性感情を引き寄せ、とどまるトレーニングが必要です。関係を引き離すというのは結果として協力しないで相手に問題を解決させようとすること、関係を結びつけるというのは協力して一緒に問題を解決しようとする姿勢のことです。協力関係を築くには絶えず、自分自身が陰性感情に陥っていないかのチェックを怠らず、陽性感情を確認しつつ働きかけることを心がけましょう。これには日頃のトレーニングが必要です。  

*イネイブリング行動…症状(病気)の支え手をイネイブラーと言い、症状(病気)を支える行動をイネイブリングと言います。たとえば借金の肩代わりや、お酒や薬を探す、捨てる等、本人のためによかれと思ってしている行動が、かえって症状を悪化させることにもなります。

“人間万事塞翁が馬” “人事を尽くして天命を待つ”

“天は自ら助くる者を助く”

 

 

 

Q3.家族はどのように行動すればよいのでしょうか?

 陰性感情を当事者に向かって使う場合には、相手が今していること(例えば薬物)をやめさせようとする場合と、相手が今していないこと(例えばクリニックやリハビリ施設に通院・入所)をさせようとする場合があります。仮に陰性感情を抱いたまま、当事者にこのような働きかけをしたら、協力関係が築けることはまずないでしょう。陽性感情を呼び起こすには、自己肯定感(自分が好き、他人を信頼できる、私は他人の役に立つ)を高める必要があります。

 例えば当研究所では「一日の終わりに、良きこと3つを想い起こしましょうと提案しています。あるいは幸福の3つの条件について話し合ったり、ノートに書きとめたりします。日々、よきことを思い出せる習慣が身に付いて、自らが掲げた幸福の条件を満たすことに前向きに取り組み、達成感を味わい始めると、それぞれの家族は視野が広がり、ゆとりを持って新たな課題に挑戦し始めます。

 問題志向ではなく、解決志向アプローチの中心原理は「もしうまくいっているのなら、それを直さず継続せよ」「もし過去に一度うまくいったのなら、またそれを実行せよ」「もしうまくいっていないのなら、何か違ったことを徹底せよ」という3項です。家族が解決志向アプローチに馴染んでくると、トラブルの様々な原因ではなく、肯定的な意図を探り始めます。そして、自分や当事者の短所や欠点ではなく、長所や能力のほうに目を向け始めます。自己肯定感を育む話し合いやワークが、陽性感情を呼び起こし、幸福感を培う場になるのです。

 それには、信頼のおける相談相手を見出すこと、安心してくつろげる学習の場に足を運ぶこと、そして何よりも一定期間の継続が欠かせません。ちなみに私は当事者のみならず、家族の方に対して内観(両親をはじめとする家族関係の振り返り、「して頂いたこと」・「して返したこと」・「迷惑をかけたこと」)を勧めています。

“笑う門には福来る”

“思考に気をつけなさい。それはいつか言葉になるから。

言葉に気をつけなさい。それはいつか行動になるから。

習慣に気をつけなさい。それはいつか性格になるから。

性格に気をつけなさい。それはいつか運命になるから。“

マザー・テレサの言葉

 

 

落ち着き(安心)、元気(自己肯定感)、明るさ(希望)を取り戻した家族は、他の家族の理解、信頼、協力を得られるようになります。家族の変化を通して話し合いの機会が増え、当事者が自発的に、必要な医療やリハビリを選択していきます。結果、予後においても必要な時に話し合い、それぞれの立場、役割を確認しながら支え合えるような関係が継続していくことになるのです。

“過去、何が起こっていようと、当事者は私に対して愛のこもった態度を取ってほしい。“

“現在、何が起こっていようと、私は当時者に対して愛のこもった態度を取りたい“

 

 

 

MESSAGE~メッセージ~

「自分の身に、あるいは家族の身に起こることが、すべて自分にとって必要なものなのだ」と気づけば、縁あって与えられたすべての人たちに感謝する気持ちを持つことが出来ます。家族とは縁で結ばれています。縁は円(輪)に通じ、丸くなって手を結んでいるようなイメージです。手をつないで輪になれば誰もが温もりに安心します。しかし、これが30分、1時間、1日放せないとなると、それは拘束や執着のイメージに変わっていきます。家族の和を保つには、それぞれが自立し180度外向きになって社会と向き合う必要があります。そこには家族の信頼と尊敬に裏打ちされた、社会におけるそれぞれの貢献と責任の課題が繰り広げられています。決して内側を向いて争っている場合ではありません。家族とは長いつきあいです。和がもつれることがあったとしても事あるたびに家族の原型、縁=円=輪=和であることを想起しなければなりません。

“和をもって貴しとなし、さからうことなきを宗とせよ”

“全ての出来事は私のために起こっている”

 

 

『ほほえみをあなたに』                  ロバート・バー

 

ほほえみ、それは少しも元手がかかりません。
しかし、多くのもの(驚くべきもの)を人に与えてくれます。

ほほえみ、それは人に与えても、いっこうに減りはしません。
しかし、もらった人を限りなく豊かにします。

ほほえみ、それを生み出すのに少しの時間もいりません。
しかし、それを受けた人の記憶の中には永遠に残ることさえあります。

ほほえみ、それがなくても生きていけるほど強い人はこの世にいません。
ほほえみ、それがなくても生きていけるほど豊かな人もいません。

ほほえみ、それは家庭の中に幸福を生み出し、社会の中では善意を培い二人の友の間では友情の合言葉になります。

ほほえみ、それは疲れ切った魂に安息を与え、失望した人に励ましを与え悲しんでいる人には、光をもたらしてくれます。

ほほえみ、それは人生のあらゆる問題に対して神が与えてくださった妙薬です。
このほほえみは、お金で買うことのできないもの 頼んで得られないもの 借りられもしない代わりに盗み取ることも出来ないものです。

ほほえみ、それは、あなたの心の奥から湧き出して惜しげもなく与えられた時だけ、値打ちあるものです。

ある人は、ほほえむ事が出来ないほど疲れているかもしれません。

もし、あなたが誰かに期待したほほえみが得られなかったら不愉快になる代わりに
むしろ、あなたの方から、ほほえみかけてごらんなさい。
実際、ほほえみを忘れた人ほど あなたからのほほえみを必要としている人はいないのですから。

 

 

沿革紹介

■加藤信、鈴木勉、高田孝二『薬物依存研究の最前線』星和書店 出版年度1999年発刊 第七章「薬物依存症回復施設における取り組み」より抜粋

はじめに

 心理学科を出て、犯罪臨床を志した筆者は、夢叶わずやむなく2年のサラリーマン生活を経て、秋田の単科精神病院に職を得た。しかし、隔離保護を中心に据えた収容型医療施設の実際は、想像を絶するものがあり、困惑と失望にたえなかった(1983~85年)。2年後、縁あって福島のアルコール専門病棟に6年勤務した(1985年~91年)。
 その後、アルコール以外の薬物依存者を紹介することで付き合いの始まった東京ダルク【注1】には、さらなる縁で、4年と4カ月在籍した(1992年~96年)。
 今思えば、アルコール医療に精通した医師の下で、開棟と同時にチーム医療や病棟運営にかかわることができたのは幸運だった。ダルク在籍時に行ったことで役に立ったことがあるとすれば、この時期(1985年~91年)の経験が基礎をなしている。心理検査からケースワークまで、いつのまにか病棟専属のコメディカルスタッフに位置付けられていた。
 当時、久里浜方式に準じたARP【注2】を根付かせるために、老舗のアルコール専門病棟の見学・研修はもちろん、各種施設の見学や、AAを初めとする自助グループへも積極的に参加した。各自(関係者やリカバリードスタッフ)の経験に裏打ちされた治療論(信念)は、筆者の知的好奇心や疑問に的確にこたえてくれるものだった。それは本来の民主主義精神に基づいた、親密で対等なコミュニケーションの可能性を示唆していた(入院時、再飲酒時の治療契約、患者自治会の存在、および自治会と医療スタッフの共同体制など)。
 特に12ステップ【注3】を基礎においたリカバリードスタッフの話は、新たな回復像を提示してくれた。その目指すところは、立場を越えた、『回復と成長』に他ならない。医療の枠組みをさらに押し進めた治療共同体の理論と実践に深く感銘したのを覚えている。
 時を同じくして、筆者はマック後援会【注4】の事務局員として、マックの開設・運営にも携わることができた。とりわけ、マック後援会間の相互交流には学ぶことが多かった。(横浜~福島を中心に東京のマックスタッフも参加した)。草創期のマックスタッフが語る、涙と笑いの回復物語に興味深く耳を傾けているうちに夜がふけた。AA【注5】やマックとの衝撃的な出会い(物語)を吐露する後援会員、治療者ー患者、関わるものー関わられるもの、という垣根を越えて、皆それぞれが、『自分自身』を語る場であり、AAを紹介したアメリカ人神父と12ステップの原理に心ひかれる者たちであった。
 アルコール病棟開棟後、病棟運営枠組み作りに着手すると同時に、東京よりAAメンバーやアラノン【注6】メンバーを招いて、紹介ミーティングを行った。紆余曲折を経て、その後AAは大きく飛躍した(第6回郡山ステップセミナーでは、ゲストスピーカーとしての機会を与えられた)。福島在住期間は、アラノンにも出席し続けた。低迷していたアラノンも最近は再び活性化しつつあると聞く。
当時のアルコール医療では、入院中心に傾く傾向を揶揄する風潮にあって、「洗濯機治療【注7】」「外部発注治療【注8】「回転ドア現象【注9】」なる言葉が取り沙汰されていた。筆者も開棟後数年経たところで、こうした言葉の意味するところを強く実感した。
 先にも述べたように、ダルク在籍時の取り組みは、アルコール病棟へ赴任してからのアルコール医療の変遷に負うところが大きかった。
 しかし今日、筆者の関心課題は、専門家中心のアルコール医療から当事者中心の中間施設を経て、困惑して訪れる最初の家族メンバーの、回復と成長の場作りへと完全に移行しつつある。セルフ・サポート研究所(後述)に至る経緯を概観したい。

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【注1】東京ダルク:薬物依存症者のために民間のリハビリテーション施設(通所、入寮)。全国に十数か所あり、東京ダルクはその発祥の地である。
【注2】ARP Alcohol-Rehabilitation-Program:アルコール・リハビリテーション・プログラムの略。日本では昭和38年に、国立久里浜病院で誕生した。身体治療を終えた後は、教育的集団精神療法など飲酒行動の修正に焦点を当てたプログラムが組まれている。
【注3】12ステップ:AAの基本理念。回復と成長のプログラム。
  1) われわれはアルコールに対して無力であり、生きていくことがどうにもならなくなったことを認めた。
  2) われわれは自分より偉大な力が、われわれを正気に戻してくれると信じるようになった。
  3) われわれの意志といのちの方向を変え、自分で理解している神、ハイヤーパワーの配慮にゆだねる決心をした。
  4) 探し求め、恐れることなく、生き方の棚卸表を作った。
  5) 神に対し、自分自身に対し、もう一人の人間に対し、自分の誤りの正確な本質を認めた。
  6) これらの性格上の欠点をすべて取り除くことを神にゆだねる心の準備が、完全にできた。
  7) 自分の短所をかえてください、と謙虚に神に求めた。
  8) われわれが傷つけたすべての人の表を作り、そのすべての人たちに埋め合わせをする気持ちになった。
  9) その人たち、またはほかの人々を傷つけない限り、機会あるたびに直接埋め合わせをした。
10) 自分の生き方の棚卸しを実行し続け、誤った時は直ちに認めた。
11) 自分で理解している神との意識的な触れ合いを深めるために、神の意志を知り、それだけを行っていく力を、祈りと黙想によって求めた。
12) これらのステップを経た結果、霊的に目覚め、この話をアルコホーリクに伝え、また自分のあるゆることに、この原理を実践するように努力した。
【注4】マック後援会:マックとは、アルコール依存症者のための民間リハビリテーション施設(通所・入寮)。全国に十数カ所ある。マック後援会は、その活動を支援する市民団体である。
【注5】AA:アルコホリクス・アノニマスの略。アルコール依存症者たちの自助グループで、1935年アメリカに誕生した(日本では1975年)。AAミーティングを中心としながら、12ステップの実践が重要とされる。
【注6】アラノン:アルコール依存症者たちの家族や友人知人の自助グループで、1951年アメリカに誕生した(日本では1980年)。アラノン・ミーティングを活動の中心としながら、12ステップの実践が重要とされる。
【注7】洗濯機治療:アルコール依存症者の個別性を軽視した、一定期間の画一化した入院治療プログラム(アルコール専門病棟の効果と限界)。
【注8】外部発注治療:アルコール依存者を、中間施設や自助グループなどに振り分けること。その行き過ぎた傾向。
【注9】回転ドア現象:入退院を繰り返すアルコール依存症者たち。医療との間に繰り広げられる退院、再飲酒、再入院の連続したパターン。

家族相談プログラム

 東京という巨大都市を反映してか、ダルクには、電話による問い合わせや来所による相談が予想以上に多かった。家族介入(危機介入)を適切に行えるスタッフはおらず、当時の不在がちな責任者がその対応に追われ、苦慮していた。
 当然、嗜癖治療での第一相談者は家族メンバーであることが多い。
 相談に来所した家族(母親が圧倒的に多い)の第一声は、
「どうしたら薬物をやめさせられるか」
「どうやったらダルクに入れられるのか」
と相場が決まっている。
 マスコミを通じてやってくる相談歴のない家族の無理解はともかく、病院や保健所から紹介されてくる家族も同様だった。関係機関の家族介入に手落ちがあるのか、理解に難があるのは家族の特徴なのか、判別し難かったが、いずれにしても、相談に訪れた家族の多くは、落胆と失望にうちひしがれて、眼前から去っていった。なかには、
「今だったら家にいるから、電話で説得してもらえないか」
「ダルクの人何人かで迎えに来てもらえないか」
と食い下がる家族もいた。
 家族が遠方の場合、継続相談に限界がある。ていねいにフォローしようとして、地元の精神保健福祉センターや保健所にも連絡をとったが、手応えは薄かった。
 マスコミを通じてダルクが全国的に知れ渡るとしても、家庭教育の受け皿が整備されていないわが日本では、薬物依存者を契機にした家族間コミュニケーションの再学習の場にはなりにくい。ほぼ永遠に先送りになるシステムなのだ。この現実は重い。仮に薬物依存症者が子世代ならば、親世代(大人、社会、国家)に向けて投げかけられた”問い”であるはずだ。
 『物分かりの良い連中は世間に自分を合わせようとする。わからず屋は世間を自分に合わせようとする。それ故、すべての進歩はわからず屋のお陰なのだ。』(G・B・ショー)
親と呼ばれる、物分かりのいい大人たちが見過ごしてきた、家族システムや社会制度(法制度)を、一体いつになったら見直す気なのか、筆者には当惑して訪れる家族の訴えも背後から、依存者たちの疑惑や不信、怒りや欲求不満といった声なき声が聞こえてくる気がした。不適切な言動(暴言・暴力・閉じこもりなど)が意味するところを要約すれば、やはりそれは「救助信号」以外の何者でもないはずだ。依存者の声を聴いていないのか、応えられないのか、ほっとけないのか、助けが助けにならないでいる。いやむしろ、救われたいのは、共依存者【注10】として登場する家族自身なのだ。しかし、もはや硬直した両者の交流パターンは、第三者の介入なしには容易には溶解しない。
 1992年9月には、新たに家族会を組織した。(それ以前にも入寮者の家族を対象とした家族会が組織されてはいたが、専門家やダルクスタッフの関与が薄れるに従って、自然消滅した。1989年6月~1992年5月)。
 さらに、合同面接(スタッフを介しての、家族・本人合同での面接)の実施を始め、家族シェルターを設立した。
 当初の家族シェルターは、子供の暴力にさらされている親たちの緊急避難の場であった。しかし次第に、本人同様、家族も住み慣れた住まいや土地を離れ、一人になって自分自身を見つめ直す内省の場としての、家族シェルターが必要なのだというところに行き着いた。これは、医療施設が発想した家族病棟のようなものとは全く違って、「家族の、家族による、家族のための回復の場」つまり、”家族版ダルク”のようなものである。しかし、薬物依存者本人が集うダルクの中に、家族相談プログラムが併存するには、数々の問題が生じていた。
 まず第一に、ダルクに家族が相談に通う間は、本人が登場しにくい面がある(特に本人が家族に対して復讐心を持っている場合など)ということ。そして逆に、本人が通所、入所してからは、親への依存・親の側の共依存が再開されやすいという面もある(何かと用事を作って様子伺いに来る親や、家族会で本人が親を待ち伏せるということなど)。さらに具合が悪いのは、本人が通所、入所しだすと、親は安心してか、本人のいるダルクには一切顔を出さなくなるケースもあるのだ。
 いずれにしても、依存者本人も家族も、自らの動機で行動し、「「自分の回復のプログラム」を続けていくというのが、本来の姿である。そのためには、家族相談部門は、ダルクから独立すべきではないかとの想いが日々強くなっていったのである。
 ダルクに関わって4年ほど経った頃、家族相談部門の移転話が再び持ち上がってきた。家族の相談が漸増し、手狭になったことが大きな理由であったが、これを契機に、かねてから懸案であった、家族相談部門を独立させるに至った。

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【注10】共依存症者:共依存症とは、他人に必要とされる必要。共依存症者とは、献身、世話焼き、自己犠牲的振る舞いを通して、相手を支配する傾向の強い人。

セルフ・サポート研究所における取り組み

1996年7月に、薬物依存者の家族の回復を支援する場として、セルフ・サポート研究所を設立した。
 薬物依存者の家族は、依存者本人と同様に精神的肉体的に追い詰められており、混乱の日々を送っている。まず、家族自身が回復し、薬物依存者本人に対する適切な対応を身につけていかない限り、薬物依存者本人の回復は難しい。
 そのためには、薬物依存者本人とは別に、家族のためのカウンセリングやグループが必要であるが、この問題に関して、公的機関は関わりきれていないのが現状である。
 以下は、セルフ・サポート研究所における、家族に対する取り組みである。

1.個人カウンセリング

 家族が困った時に、個別のケースに対応できる専門家が相談にあたる。家族の心理相談、弁護士や医療機関、ダルクなどの中間施設との連絡等のケースワーク、自助グループや各種プログラムへの参加を促すなど、個人カウンセリングの内容は多岐にわたる。遠方の人や、事情があって通えない人のためには、電話相談システムで相談にあたる。

2.各種プログラム

1)薬物依存者を家族にもつ方のための教育プログラム
2)アサーティブ・トレーニング【注11】を始めとする、各種セミナーグループ
3)グループ・カウンセリング
4)宿泊付きワークショップ
5)家族による自主グループ

3.シェルター

暴力・脅迫から身を守るための宿泊できる一時避難所

4.ニュースレター発行

家族の体験談やプログラムの紹介など、遠方のためのグループに参加できない人のための情報誌

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【注11】アサーティブ・トレーニング:自分も相手も傷つけない主張的コミュニケーションを身につけるグループ。ロールプレイを使って、実生活にも即応用できるような実践的プログラム。

今後の課題

シェルターに入居した家族や、シェルターの意味を理解し、新しく住まいを確保した家族の両者に共通してみられる言動の変化は、一言でいえば、以前には見られなかった”快活さ”である。一人の母であれば、母から妻へ、そして一人の女として、いわば人間としての尊厳を主体的に取り戻していくプロセスと言い換えることもできる。依存者や夫の住まう家族という日常を離れ、一人になったり、同じ悩みを抱える家族と集うことで、何故”主体性”が回復するのか(自立していくのか)。ここにはダルクと同様の原理が働いている。回復するためのプログラムと場である。
 今後は、専門家や自助グループの手助けのもとで、主体性を取り戻した家族独自のサービス組織の設立に向けて、各関係機関に、この間の経験を機会あるたびに広報していきたい。

(セルフ・サポート研究所代表・加藤 力)

 著書「家族を依存症から救う本」河出書房新社。

  視覚教材「依存症者への対処法 支援者としての家族のあり方」

 視覚教材「回復への道 全三巻」

 

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家族が依存症の正しい知識を学ぶこと
家族が当事者に対する適切な対応を学ぶこと

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